日本人でNWA世界ヘビー級王者に相応しいのは木村健悟

 

1980年代半ばまで世界最高峰といわれたNWA世界ヘビー級王者は、1地区1人制で、30数名の世界中のプロモーターの加盟団体を回り、地元のトップ選手と防衛戦をやるが、1930年代から1960年代のルー・テーズ時代と1970年代からのハーリー・レイスらの時代以降では役割が異なった。ルー・テーズ時代は「レスリングができて相手のすべてを受けられる最強の王者が来て、地元のトップレスラーが挑戦するが勝てない。さすが世界王者だ」という最強の証だった。ルー・テーズ時代のNWA世界ヘビー級チャンピオンにあっている日本人選手はアントニオ猪木さんか。

 1970年代からのハーリー・レイス時代以降は、NWA王者は悪玉として地元の善玉トップレスラーの挑戦を受けて、技を受けまくり、自身は細かい技ができて、ラフもできて、攻守入れ替えができる打撃技があり、基本的な大技のブレーンバスター、バックドロップなどの投げ技ができて、8割は受けに回り、あと一歩で王座奪取というところまで善玉挑戦者を引き上げながらも、最後は丸め込み技や反則防衛で辛勝、時間切れ引き分けや両者リングアウト引き分けの綱渡り防衛で、大の字に倒れたお腹の上にNWAベルトを置かれ、ファンに「俺らの地元のチャンピオンの方が強い。次は勝てるだろ」と思わせて次回興行にお客さんを呼ぶという役割があったため、必然的にNWA王者=悪玉となる。

 ハーリー・レイス時代のNWA世界ヘビー級王者にあっている日本人は誰か? ズバリ、木村健悟さん。恐い顔をして、細い体で筋肉ポーズをとり、相手のマッチョマンの筋肉ポーズに恐れをなして場外エスケープ。組んだらほっぽり投げられるも、細かい技、パンチ、キック、稲妻レッグラリアートで攻めて、相手が攻めてきたらのたうち回り、バックドロップ、パイルドライバー、プレーンバスター、ダブルアームスープレックスなどで反撃も、再反撃されて四つん這いになり、最後は丸め込み技で辛勝か、フォール、ギブアップ勝ちでないと王座移動しないため反則負け、リングアウト負け、両者リングアウトで王座移動なしで、大の字に倒れた腹の上にNWAベルトが置かれる。完璧である。健悟さんはアンドレ・ザ・ジャイアント、ブルーザー・ブロディにも勝っている。蹴っ飛ばされてフェンス外にぶっ飛んでフェンスアウトで反則勝ち。完璧である。

 「ルー・テーズはいいレスラーだったが、地元のエースを潰してしまい、いくつものテリトリーを潰したため、NWA王者としてはベストではなかった。よく世界チャンピオンになったと言う奴がいるが、俺は『違うだろ。世界チャンピオンにならさせてもらっただろ』と言う」。(元NWA世界王者テリー・ファンク)。ルーはレスリングのできないレスラーを嫌うため、テリーの言う「地元のエースを潰してしまった」という話はありえたと思う。

 NWA世界王者はルー・テーズの時代もハーリー・レイス時代以降も全米、カナダ、カリブ海地区、日本、アジア、オセアニア、など全世界を駆け巡り、ジャック・ブリスコは「飛行機のシートが私のベッド」と言うほど過酷なスケジュールで、「仕掛けてくる」奴もいるため実力がないと務まらなかった。

 1989年、テリー・ファンクがリック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座に挑戦していた頃に言った名言が印象に残っている。「7度世界チャンピオンになったということは、7度取られているからダメ」。なるほど。

 世界3大王座と言われたNWA, AWA, WWWFは、NWAとAWA,WWWFでは役割が違った。ニューヨーク、ワシントンDCなどの米国東部地区の大都市がテリトリーのWWWFとミネソタ周辺のAWAは、新日本プロレスや全日本プロレスと同じように一座でテリトリー内を回るため、アントニオ猪木さんやジャイアント馬場さんのような善玉のヒーローがチャンピオンでハッピーエンドで終わる。しかし、NWA王者だけが加盟団体を回って地元のエースと防衛戦をやるため、各地区のヒーローを持ち上げるという違った役割を担っていたので悪玉となり、NWA世界王者だけが「強ければいい」、「人気があればいい」では済まない難しいチャンピオンであった。