キャッチ・アズ・キャッチ・キャンの起源はアメリカ?

キャッチ・アズ・キャッチ・キャンの起源と言われるビリー・ライレージムは、1950年代初頭にビリー・ライレーがイギリス・ランカシャー地方のウィガンに設立し、生徒たちにキャッチ・アズ・キャッチ・キャンを教えた。1951年にカール・ゴッチ、1954年にビル・ロビンソンが入門している。

1950年代初頭? 意外と歴史が浅い?

1931年にルー・テーズが15歳でプロレス入りした際の師匠は、1930年代から1950年代に活躍したウォーレン・ボックウィンクル(ニックのダディ)でダブルリストロックを教わった。

その後、ルーが師事するエド “ストラングラー” ルイスは1920年代から1930年代に活躍し、ダブルリストロック含めたキャッチ・アズ・キャッチ・キャンの達人で同時期、ジョー・トラゴス、レイ・スティール、ジョー・ステッカー、ディック・シカット、ジム・ロンドスらもキャッチ・アズ・キャッチ・キャンの猛者で関節技の攻防が行われた。

それ以前の19世紀後半の1890年代から20世紀初頭の1910年頃に活躍したフランク・ゴッチ、ジョージ・ハッケンシュミット、アド・サンテル、スタニスラウス・ズビスコらもキャッチ・アズ・キャッチ・キャンに長けていた。

キャッチ・アズ・キャッチ・キャンはアメリカでは1800年代後半から、イギリスでは1950年頃からのようであり、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンの歴史的はイギリスよりもアメリカの方が半世紀も早いようだ。