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テリー・ファンクの名言

1989年、リック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座に挑戦していたテリー・ファンクが言った名言が印象に残っている。

“7 times world champion is 7 times lost so no good!!”(7度世界チャンピオンになったということは、7度取られているからダメ)

なるほど…歴史を混乱させたということですね。

1989年11月15日にニューヨーク州トロイで行われた「Clash of the Champions IX~New York Knock Out~」でのフレアーvsテリーの「I Quit Match」は物凄い試合だった。

クレイジー

テキサス州キャニオンで「裏切り牧場(Double Cross Ranch)」を持つテキサスの荒馬(Texas Bronco)はプロレスの興行をやっていたが、客入りが悪かった。
テキサスの荒馬は、考えに考えた挙句、熊と闘うことを考えついた。
リング上から「次回は物凄い熊と闘う!!」と発表したところ、チケットが完売した。

ところが、コミッショナーから「物凄い熊と闘うのはダメ」と言われてしまい、困った・・・。
テキサスの荒馬は、テキサスの冷静沈着な兄の新車のキャデラックに乗ってレンタルクマ屋に行って熊を借り、後部座席に熊を乗せてホームセンターへ行き、後部座席の熊に「ここにいろ」と言い、ペンキを買いに行った。
駐車場に停まっているキャデラックの後部座席に座っている熊に人々は驚いた。

テキサスの荒馬は裏切り牧場に戻り、熊の頭から爪先まで白いペンキを塗り、テキサスの冷静沈着な兄の新車のキャデラックもペンキだらけにした。
テキサスの荒馬はリング上から「みんな、今日は諸事情により、物凄い熊を連れて来ることができなかった。でも安心してくれ。北極熊を連れて来た」
するとそこに、ペンキで真っ白に塗った白熊がリングに現れた。全身の毛がガチガチだった。

翌日、テキサスの荒馬は借りた熊を返しに行ったが、驚いたのはレンタル熊屋だった。
レンタル熊屋「何だこれは!? 俺は黒い熊を貸したよな?」
テキサスの荒馬「NO. 白い熊だった」
レンタル熊屋「黒い熊だ」
テキサスの荒馬「白い熊だった」

熊の全身をペンキで塗らなくても、月の輪熊で十分だったと思う。
やっぱりテリーはクレイジーだった・・・。

 

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裏切り牧場 Double Cross Ranch

“テキサスの荒馬” テリー・ファンクのテキサス州キャニオンのDouble Cross Ranch(裏切り牧場)。牧場というか広大な荒地。父ドリー・ファンク・シニアは、Flying Mare Ranch(首投げ牧場)を持っていた。

テリーと兄ドリーは、この裏切り牧場からニューヨーク、アトランタ、シカゴ、デトロイトと世界中の大都市、太平洋を越えて東京に来て品川のホテルに泊まり、日本中で “黒い呪術師” アブドーラ・ザ・ブッチャー、“アラビアの怪人” ザ・シーク、“東亜の蒲田の殺し屋” キラー・トーア・カマタらと死闘を演じ、また裏切り牧場へと帰って行った。

アマリロでの試合後、ダスティ・ローデスが「テリーの家に行こう。この暑さだから窓を開けて寝ているはずだ。ホースで水をぶっかけてやろう」とニック・ボックウィンクルを誘い、この日、試合がなかったテリーの家に向かった。
大平原の丘の上にあるテリーの家の近くに行き、車のライトを消し、ローデスが水道からホースを引っ張っていき、窓から部屋の中を覗き、しゃがんで水道の蛇口から水を出す用意をしているニックに「OK」と指示を出そうとして振り向いたところ、ニックの後ろにショットガンを持ったテリーが立っていた。
ダスティは固まった。ニックは「いいか? いいか?」と目で合図してくる。と、次の瞬間、テリーがニックの頭の上でショットガンをぶっ放った。
ミッドナイトにテキサスの大平原でぶっ放ったショットガンは耳の中で大砲を撃たれたような大爆音だった。
これに驚いたのはニックだった。首を切られた鶏のように、その場をクルクル回り始めた。
それを見たテリーは正面玄関から逃げて行った。
どいつもこいつもクレイジーだった・・・。

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