https://sadgeniu.wordpress.com/2017/08/25/流智美が書いた文書で強制送還/
https://sadgeniu.wordpress.com/2013/08/25/26年前、ルー・テーズに弟子入りも⋯強制送還/
1987年8月25日の悪夢の強制送還から7ヶ月・・・30年前の今日、1988年(昭和63年)3月18日(金)、私はルー・テーズに弟子入りするため、再度ノーフォークへ向かい日本を発った。
ちょうどこの日は、日本初のドーム型球場「東京ドーム」のこけら落としの日で、中国鍼による禁断の治療を拒否して選手生命を絶たれた読売ジャイアンツの江川卓投手の引退セレモニーが行われた日だった。成田空港のゲートでテレビに映る日本初のドーム型球場東京ドームを横目に、私は日本をテイクオフ~離陸~したのであった。薬師丸ひろ子さんが歌った「セーラー服と機関銃~夢の途中~」の歌詞のような気持ちだった。
♫スーツケースいっぱいに つめこんだ 希望という名の重い荷物を・・・♫
ニューヨークJFK国際空港に到着した。移民の国アメリカ・・・様々な国の人々が集まるこの国は、空港に到着した瞬間から目に見えぬパワーを肌で感じた。イミグレーションを無事通過したのはいいが、滞在期間が10日間しか与えられなかったのである。6ヶ月以上もかかってビザを取得して滞在期間がたったの10日!? 3月の夕刻7時過ぎのニューヨーク摩天楼は既に暗闇に包まれており、10日間という短い滞在期間しか与えられなかったこともあり、私の小さな胸はキュ~ンと締めつけられ、夢と希望と不安に包まれた孤独感を胸にノーフォーク行の便に搭乗したのであった。
しかし、またここでアクシデント勃発!! 何と座席のダブルブッキングで機外に出されてしまったのである。結局、何とかなり、暗闇に輝くニューヨーク摩天楼を寂しげに見つめながら「夢と希望」を胸にノーフォークへと飛び立ったのであった・・・。
ノーフォーク国際空港に到着し、ゲート出口へ向かう象の鼻のような通路を歩いて出口へ向かうと、ゲート出口真正面に赤いポロシャツ着たルー・テーズが腕組みして立っているのである。そう、よく写真で見るお馴染みの鉄人ポーズである。「ウォォォォ~凄ぇぇぇぇ~、ルー・テーズだよぉ~!!」ルーの前に行きジャパニーズ・スタイルでペコリと頭を下げると、ルーは一言「ウエルカム!!」
ルー運転の車の助手席に乗り、“鉄人御殿”へと向かう。大通り以外は街灯がほとんどないアメリカの薄暗い夜景に包まれたノーフォークの街並みは、外車と外人が多く、赤青黄に煌々と灯る信号だけが不安気に私の前途を見つめていた。そして、“鉄人御殿”に到着したその瞬間、私の脳裏に一抹の不安がよぎったのであった・・・。
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