ユセフ・トルコさんの思い出

10-08-24_001_sh01
ユセフ・トルコさんが10月18日に亡くなっていた。
2010年初頭、トルコさんより
「プロレス界を統一したいので協力してほしい。
某テレビ局からゴールデンタイムでの放映を確約されている。
選手だけでなく、プロデュースもやってくれ」
とのことで了承した。

団体名は「日本プロレス」
選手候補として、A, H, M, T, F, T, C, S, G, T, S, K, O, Sらの中から10選手を主力選手とする。

スポンサーは、H, I, M, B, L, O, Tなど。

顧問として、トルコさんが発起人、会長、最高顧問、最高相談役となり、
コミッショナーを衆議院議員のK, H, M, H(元長州派、現町村派)らの中から1人とのこと。

エースになる選手として、1度でもメジャーと言われる団体で
エースになった選手は既に時代が終わった選手であるため、
集ったヘビー級選手の中からの消去法により絶対的エースを決定する。

私はトルコさんに「各選手それぞれの現状や立場があるため
簡単にはいかないので、しっかりと計画を話て、
少しずつ慎重に進めていかないと難しい。
Mも団体経営が苦しいようなので、
こちらで統一するからと説明して、大きな借金を抱える前に
閉鎖させる方向で進ませた方がいい」等、進言した・・・。

私が、Hさんを知っていると言ったところ、
トルコ「Hを知ってる!?よし、Bがスポンサーだ。
Hの車でIのガソリン、タイヤはB、完璧だ!!
よし、Hに電話しろ、Bがスポンサーだ!!」
それ以降、企画書のスポンサー枠にBと記された。
デタラメすぎてメルトダウンしそうだった。(笑)

プロレス界統一計画は、5億円の資金で某テレビ局の生放送で
2010年大晦日に旗揚げとのことだったが・・・。

トルコさんの口癖は「当年とって80歳、おへその下は40歳」
「腹上死で死にたい」「猪木を殺すまで俺も死ねない」。
トルコさんは、色々な所で猪木さんへのアクションを計画したが、
実現しなかった。

トルコさんの夢、プロレス界統一は実現しませんでしたが、
デタラメで大爆笑な時間をありがとう(笑)

夕刊フジ
http://www.zakzak.co.jp/sports/etc_sports/news/20101111/spo1011111642007-n1.htm

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください