アーカイブ | 03/27/2019

海外で1人でいる時に誰かが来てくれると嬉しい


1988年(昭和63年)7月7日頃、ノーフォークにテキサス州ダラス在住の「週刊ゴング」の特派員ジミー鈴木さんと「東京スポーツ」の柴田惣一さんが来た。
ルー・テーズとノーフォーク空港で出迎えると2人から「アドリアン・アドニスが死んだよ」と聞かされた。

ジミー「今日はゴングではなくFRIDAYで来たから白黒フィルムしか入っていない」
ジミーはリポーター、インタビュアー、カメラマン、タイムキーパーなどのハイブリッド特派員で、記者である柴田さんにカメラの絞りまで指示していた。
たくさん写真を撮り、ウォーターサイドで食事をして、ジミーは翌朝、MLBの取材でフロリダに飛んで行った。大忙しである。
ジミーも柴田さんも、海外で頑張る日本人選手を思い、選手の価値が上がるように記事を書いてくれる。

柴田さん「明日一日空いているので居たいな。こんな楽しい取材はない」
翌朝午前はオールド・ドミニオン大学の授業が入っており、1講義終えた11:30に降りて来て駐車場に行くと、ルーの車の中に頭が2つ見える。ルーの頭と車中で鉄人と2人っきりのため緊張して石像のようにガチガチに固まっているが頭だけが微妙にズレている柴田さん。正にその姿はズレータ柴田であり、この際だから「ズレータ柴田」を襲名するのも、なかなか乙なものである。
車に乗るとズレータが「第2次UWFの有明コロシアムでの前田の対戦相手がオランダのジェラルド・ゴルドーに決まったので、今からオランダに飛ぶ」とのことで空港まで送った。

海外で1人でいる時に、誰かが来てくれると嬉しいものです。ジミーとズレータの訪問は、プロレス、大学と日本語がない状態での朝から晩までのストイックな生活の中の、いっ時の心の安らぎだった。

 

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